20170524_24°C

苦しくても、安心感があった。

続けてることで、自己満足してた。

 

自分の決めたことを変えないことで、続けていることそのものに価値があって、成果が出せているかどうかは関係ないだろう、って。

 

実際に、今回胸がいっぱいになる素敵なエピソードを知り合いの方から聞いて、満開の笑顔が広がる参加者の方の写真をカメラマンの方からいただいて、このやり方は合ってたんだろうなとも思う。

 

でも、やり方はあっていてもそこから見たい世界を切り拓いていく力が、今の私にはないことも痛感した。

 

伝えることって、正直いうとやっても世の中は変わらないんですよ、と言われた時とても悔しくて、初対面のひとに言われる言葉でいつも心がぽきぽき折れて、本当はそんなの真に受けなくていいと分かっていても言い返す言葉が見つからなかった。

 

 言葉を返せなくても、行動で示せばいいと思ってた。でも、それももうできないなと悟った。

 

認めなきゃいけない。これ以上自分にはできないこと。

変わらなきゃいけないこと。

 

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書店員さんが、赤子を抱くように丁寧にブックカバーをかける。

 

自分以上に自分の大切なものを大事に扱ってもらえることは、こんなに涙が出そうになるほど嬉しいことだったんだ、とその瞬間を目にして初めて知った。

 

わたしは、こんな風に仕事をできていたんだろうか。

思い出せない。

働いてたのなんてずっと前のことみたいな気がしてきて、戻るなんて想像もできない。

 

 

会社に行けていた時よりもずっと体が重くて、起きるときの耐え難い頭痛と気分の悪さで朝を迎えるのが嫌いになる。

 

朝なんてもう10日以上きていない。

 

 

眠れなくて試しに開き直りしぶとく明け方まで起きてみても、きっかり6時から12時の間は意識が飛んでしまう。

 

 

体調さえ良くなれば行けるようになる、と休職する前のわたしは繰り返し言った。

仕事の量を減らしてほしいんじゃないんです、ただ気持ちはあっても体調がついてきてくれないんです。

 

気持ちはあっても、と繰り返した。

嘘だったかもしれない。

 

帰り道、大きいため息をひとつついた。

嘘だったかもしれない。

 

 

水泳と陸上の世界があってね、たまたま自分の得意じゃない競技の世界に行ってしまったらそれは辛いかもしれないけれど、そういうことだってあるのよ、わざわざ苦手なことを頑張らなくてもいいのよ、と社内カウンセラーの人に言われた。その通りだなと思った。

 

 

泳げないのに水泳を選んでしまっただけかもしれない。

 

 

だけど、泳げないことは最初から分かっていた。

わたしは泳ぎたくてここに足を踏み入れたのに。

 

 

ちょっと泳げるようになっても、泳ぎが楽しくないのは、幸せな気持ちになれなかったのはどうしてだろう。

 

 

 

 

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Before The Day Going To  End.....

生活を営むということを、言葉を紡ぐたのしさを、もう何ヶ月も味わっていない。

 

それが、仕事によるものなのか、わたし自身が変わってしまったからなのか分からない。

 

 

ぶつかる肩。踏まれる爪先。絡まる溜め息。

終わらない今日。駆け上がる途中で流れが止まるエスカレーター。

座れない満員電車。

こんなに些細なことが許せなかったっけ、と思わず思考が止まってしまうくらい日常の中で穏やかな気持ちでいられることがほとんどなくなった。

 

 

知らない言葉、使いたくない言葉が空気の中に溶け込む環境ではただ呼吸をするだけでも肺の中にまで取り込まれてしまう。

知ったことになる、使える言葉になる。

 

 

 

もう二度と自分の身体を痛めつけないようにと選んだ道も、結局は同じだった。

それどころか、心まで擦り減り、自分がどんどん嫌いになった。

 

 

温かい場所を、今まで自分がつくってきた場所をもう一度確かめて、ただそれだけが救いだと思った。

 

 

切った玉ねぎみたいな月を見ても、横を歩く夫婦の日常の会話を耳にしても、

見たことのない正方形のブロック一つ一つを足でなぞってみても、

眩しい明かりの中でボールに夢中になる子どもたちを見ても、何も感じない。

 

もう、今の自分には生きてること全てに何の光も色も温度も感じない。

 

目に映る光景に触れたら弾けてひかる、日常の隅々に張り巡らされている線が

まるで目の前を塞ぐ蜘蛛の巣のようにしか見えない。

 

 

 

 

世界がこんな風に見え続けてしまったらどうしよう。

 

見え続けることに耐えられなくなったら、どうしたらいいんだろう。

 

 

 

 

20171127_15°C

 

Untitled

 

優しくなりたい、優しくなりたい、と思っていたのに。

悲しい経験をすればするほど優しくなるなんて嘘だ。

 

優しく「する」のがうまくなるばかりで、ほんとうの優しさからはどんどん離れていく。

 

悲しい経験をすればするほど身に着くのは、効果的に相手を傷つける方法だった。

自分が受けた傷の深さから、逆にどう言えば相手を最も効果的に傷つけられるかが分かるようになる。

 

それを言わないのが優しさなんだろうか。そんな気づきと思いやりを天秤にかけるような残酷さを、「ほんとうの優しさ」に変えることなんてできるんだろうか。

 

それとも、優しさはそのアンバランスの中にあるんだろうか。

 

 

*

 

日常の、ある人の、心ないちょっとした言動に胸がざわついた。

それでもそのざわつきをなかったことにして、何度もやり過ごしていくうちに、ちいさな小石みたいなものがコツコツぶつかって心の中の波をさわさわ揺らした。

始めは小さかったはずのさざ波がだんだん見過ごせない大きさになって、気づけば心の柔らかい部分をじわじわ削っていった。

 

ついに耐え切れなくなりそうになって、長い付き合いの友人に連絡しようとした。

その子はきっと、わたしに降り注いだ無遠慮な言動を鋭く正しい言葉で突き刺してくれるだろうと思った。

 

そう思ったとき、初めてわたし自身がそうしたかったことに気づいた。

わたしが自分の手を汚したくないから、「ほんとうの優しさ」を守りたいから、代わりに誰かがめった刺しにしてくれるのを待っていたのかもしれない。

 

何て最低なんだろう。

 

最初から嫌なんだと言えばよかったのに。

 

優しくするのはうまくなっても、きっと優しくなるなんて簡単にできない。

 

 

 

 

 

 

 

 

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Weather

 

自分の居場所が見つけられない。

 

毎日自分の機嫌を良くして、にこにこしながら過ごす方法も分かっていて、違和感を持ちながら仕事を淡々とこなす強さも持っている。時々個人的なことでかなしい気持ちになることはあっても楽しく過ごせてる方だと思う。

 

なのに、何でだろう。ふいに、石けんの味が口の中に広がったときのような苦味が体じゅうを覆う。

 

痺れて、痺れたまま何も思わなくなればいいのかもしれないのに、ずっと気持ちが悪いまま元通りになるのをじっと待っている。

 

馴染まないとつらいはずなのに、馴染んでしまう自分を見たくない。

 

ずっといたら、自分の大事にしたいことを守れる自信がない。