感受性の水遣り
経験は、感性を磨いてくれるものでなければ意味がない。
去年の夏、初めてひとり旅をしました。
ずっとずっと、行きたいと思っていたモロッコのシャウエン。
砂漠もあるし何より公用語がアラビア語とフランス語だと知って、最初にひとりで行くにはふさわしい、超エキサイティングな経験ができるだろうとノリノリで航空券だけ購入し、現地へ飛びました。
誰もが海外旅行で経験するような失敗もあれば、自分の想像力を超える美しい景色にも、人にもたくさん出会いました。
一方では、異国の地で感じたことをホームに持ち帰った後にわたしはこの経験をどう活かせるんだろうという不安感が次第に生まれます。
砂漠が綺麗だった。現地の人が温かかった。青い町並みは夢の世界だった。
「感じておしまい」なら、むしろ行かない方が良かったんじゃないか。
それでもあてもなくふらふらしながらその土地の人と話したり、お茶したり、言葉が分からなくても泣きじゃくるわたしを慰めてくれたりの日々は心地よくて悪くなかった。
消化不良な気持ちも旅の終わりには萎んでいき、夢心地のまま日本へと帰ります。
モロッコから戻ってきて3か月が経ったある日の帰りの電車内。
「―どなたかS駅で降りる方はいらっしゃいませんか?」
平日の夜だったからか、比較的静かな車内。
跳ね返る静寂をものともせず、男性は何度も周りを見渡し声を出します。
「この外国人の方にS駅が近づいたら教えてほしいんです」
隣には、大きなバックパックを足元に置き、ちょっと肩身を狭そうにする外国人の男性。
わたしが降りるのはS駅より手前でした。
終電までまだあるし、S駅まで行って折り返してもいいかな・・・
でもその日は飲食店のバイトをクローズまでやっていてクタクタでした。
そんな時。
「・・・わたし、ふたつ先のK駅なんですが、声をかければいいんですよね?」
ひとりの男性が、そろそろと手を挙げる。
すると、
「わたしもS駅で降りるのでお知らせできます」
あんなにパリッと乾いた、声を出すのも痛いような空気が一変し
ふわっと安堵の溜息で潤いが満ちた温かい車内になりました。
一人で言葉の通じない国に行ったって、その経験から自分を成長させることができなければ意味がないんです。
わたしは、同じような境遇を経験しているのに行動ひとつ起こせなかった。
それがとっても恥ずかしくて、でも一人の男性のおかげでそれに気づくことができて、どこか遠いところに行かなくても大切なことも経験できることもいっぱいあるなと実感したのでした。