心の花束
かなりお久しぶりです。
うわ、もう2か月ほど空いてしまったのですね。。
書きたいこといっぱいあったのに時間が見つけられず・・・
スローペースですが意欲はあるので、
今年はもっと時間つくって書いていきたいと思います。
今日はこのツイートから。
心の中に花束があって、会うたび一輪ずつ渡す。水に差してくれるかは相手次第だけれど、花は必ずいつか枯れる。だから会うたび渡すんだ。いつでも気持ちが綺麗なまま保たれることなんてない。言わなくても分かってくれてるなんて思いあがってはいけない。そして、いつも心に花を持てる余裕を持たねば。
— H.MEGMI(ひらめ) (@mgmgpps) 2015, 2月 1
いつも人と話をしていると、自分の中では話がめちゃめちゃ進んでるつもりなのに全く言葉になっておらず相手に何一つ伝わってないことがしばしばあります。
ここ数年になって気づいたのが「頭の中で映像化して物事の記憶や理解を捉えている」から、伝えるときに言葉のフィルターを通すのに時間がかかる、ということです。
それの一例として人との接し方も頭のイメージで考えていて、思いやりを花に置き換えています。
今回は心の中にある、花束のことです。
いつも会う相手には一輪の花を毎回渡します。
それが好みの色か種類かはわからないんですが、いちばん良いと思う花をぽんと引き出します。
「思いやり」と抽象的に表現しましたが、具体的には相手にとって喜んでもらえそうな言葉だったりリアクションや態度だったり。
これって初対面の人には無意識にできることなのですが、
仲良くなればなるほど今まで何本も渡したから大丈夫だろうと思いこんでしまうんですね。
しかし、どんなに相手がメンテナンスに気を配ってくれていても、花は必ずいつか枯れます。
誰かがしてくれた過去のことを今でもありがたい、嬉しいと思えるのは、その人が当時から今も怠らず、同じように思いやりを持って接してくれているからだと思うのです。
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最近こうやってブログを書くような自分の時間を確保できずにかなり心がぎすぎすしていた気がします。
FacebookやTwitterを見る頻度もめっきり減ったのでほかの人の頑張りを応援する一言も言えず、会う人会う人にも枯れかけた状態の花を渡しているような感覚でした。
心に余裕がない時は、花を置けるスペースも狭まっているのかもしれません。
今日は、ちゃんと水を遣り忘れてないかな。枯れてないかな。
花の状態を客観視することで、自分の心の状態を確認することもできます。
いつも心が咲いているようにしていたいです。