口笛を弾く君
「使命」は、遠慮がちな招待ではなかった。不意打ちされ、強引に入口に引きずりこまれ、楽しいどころかおじけづくような、それでいて降板は許されない舞台に引っぱりだされたようなものだった。
使命は、さまざまな形で、さまざまな人に降りてくる。ただし、選択の余地はなく、絶対であり、自己にとって不可欠であると感じた点は、使命を感じた人々みんなに共通している。
ー『誰が世界を変えるのか』/著フランシスウェリー他2人
寝すぎて背中も腰も重い。だけど、このままじゃ良くなっても気づけないや。
ふたつのアルバイト先に休む連絡をして、せっかくとりつけてもらった約束もすべて先延ばしにして、寝ること丸3日。
体中の細胞がしーんと大人しく定位置で構えて毎朝いつも通りのわたしを待っていました。
良くなってね、早く活動したいよーと言わんばかりに。
お腹はとても空いている、ような気はするけれど食べ物を見るのは気持ち悪くて。
立って歩くと踏み出す一歩一歩がお腹に響いていたのは、案外マシになったかな。
そんな一進一退というか三寒四温のような進み具合の体調の顔色をうかがっていると、わたしの目を見計らってばたばたと切れていく消耗品たち。
あー。
外出るかあ。
思いのほか春は鼻の先まで来ている、と焦ったけれどこの日の最高気温は19℃。
あったくなったかと思えば、まだ忘れないでーと冬の夜風が顔に染み付いたり。
毎年この時期になると体調を崩すのを自分がいちばんよく知っていました。
だから、今年はあの黒い絵の具に心が塗りつぶされる前に高くて手が届かないような空色を広げてしまおうと目論んでいたのです。
祖父が亡くなったこと。
葬儀を機に、3年ぶりに絶縁状態だった父と対面したこと。
家族との関わり方を変えていくこと。
祖父の訃報を受けたのは、1月のもう少しで春休みというテスト最終日の前日。
悲しいと思うのも、悲しくないと思うのも罪な気がしました。
そこから負の感情や気持ちが何にでも働くようになってしまって、誰かを貶めているような感覚に苛まれる日ばかり続きます。
休もうと思えば、休んでいない他の人が頑張っていないと言ってしまっているようで。
止まろうとすれば、もう二度と目指すところへ行くには間に合わないようで。
だけど、焦りと反比例してわたしの体の信号機は正確に青から黄色、赤へと色を差し替えていました。
ほら、やっぱり皆元気ではっぴーがいいって思ってしまうんですよね。
例えばFacebookでだって、どんなに美味しそうな、見ただけで生唾飲んでしまうランチの写真だろうと、一生かけても見られない絶景だろうと、自分の生活には登場しない充実した友だちとの様子だろうと。
なんだかんだ、羨ましくもいいね!ってほんとに思ってます。周りが元気で楽しいのはいいことだよね!って。
どうしても弱気なところを見せるのは悪なのかな、というか楽しそうなのがいちばんじゃんかって。
公園を横切ってすぐ、の家なのに人の多い賑やかな園内はいつもそわそわしてしまいます。
家の方が落ち着くし、って出られなくなっちゃうんですよね。
だけどこの日は公園の最寄駅からいつも見下ろして気になっていた、駅の裏側の人も少ないベンチへ。
それまで心地よかった、ピアノの重なる音、ぬるくも冷たさの残る風が髪をさらう感触。
本に落とした視界の端っこで、ガサガサと慌ただしく何かの準備をする隣のベンチの人。
ポロロ〜ン。
ギター弾きの人でした。
たぶん、男の子。
わたし、最近隣に越してきた人のギターの音とうまくやれなくって、ちょっと楽器に関しては心穏やかじゃなかったのですけど、まさか外でもギターにやられるとは。
でも、もしかしたらその人の日常がここにあって、わたしがたまたま今日ここにいるのだとしたら申し訳ないので、そっと音楽のボリュームを上げました。
紙カップの中のラテがひんやり舌を転がって喉を通る頃、時計を見ると17時半。
なかなかいい時間。それでも空はまだ明るみを残していたので気がつきませんでした。
さすがに最高気温が4月中旬並みでも、冷え込むのはあっという間。
帰ろっかな、でもまだ先まで読みたいな。
ページをめくる手をまごつかせていると、隣から柔らかく伸び伸びとした音色が聞こえてきます。
あれ、これって。
彼は口笛を吹いていました。
(最初から最後まで姿を見ていないので彼か彼女かは定かではないのですが)
何か、いいな。
何か、いいなって、思いました。
「すごく」とか、「さいこーに」みたいな強さはない感情だけど、悔しいくらいに何か良かったのです。
そのとき
あっ、って。
みんなきらきら進んでるわけじゃないかもしれない。
口笛を吹くように、ひょいっと足を前に出してるうちに進んでたりするのかもしれない。
今のわたしに大事なのは正当なかっこよさじゃなくって、あっさり心をかっさらってしまう強さなんだ、って。
その心が、ほかの人のものであろうと、自分のものであろうと。
何だかそんなことをふんわり感じました。
もうわたしがあのベンチで本を読むことは当分ないけれど
きっと駅のホームから見下ろすたび、あの軽快な口笛と耳を包み込むメロディーを思い出します。
そして、
口笛を吹くように想いを乗せてみよう、ってことも。
でもわたし、口笛吹けないんでは。
おや。