神さまの換気扇

 

 

 

 

 

渋谷区で同性婚が認められるようになった。

LGBTという言葉が広まるようになった。

どんな「好き」だって、尊ぶべきだ。テレビ越しでコメンテーターは最もらしく語る。

 

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若い世代は、新しいものを受け入れやすいと言います。

だけど、きっと私たちの世代でこそ自分たちが思っているほど若くもありません。

 

 

中学生の頃、実は同性が好きなんだと打ち明けた転校生の男の子がいました。

当たり前でないからその行為を「告白した」、と受け止めてしまっていたけれど

ほんとは特別なことなんかじゃなかったんです。

 

 

 

ある大学の講義で、夫婦別姓のことをやたら熱心に議論したがる女の子がいました。

それは夫婦別姓女性差別になるかとも絡んでいて、みたいな話で。

そしてその子はこう続けます。

 

仮に夫婦別姓が浸透して数十年もすれば、その後に生まれた子たちはそれが当たり前になるんですよ、と。

 

 

わたしは、このとき何で人の寿命が長くてもせいぜい1世紀分くらいしかないのか、すとんと理解しました。

 

つい自分や身近な人が死ぬことに視点を当ててしまいがちだけど、もっと広く世の中の事象として見てみたら違うのかなって。

 

 

もしかしたら

人が死ぬということは、神さまが世の中の風通しを良くするために必要なことなのかもしれない。

 

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先生たちでも、男子たちが授業中じゃれ合っているのを見ると「お前らできてんのかー」と注意する。

 

当たり前を覆すことは、今まで積み上げてきたことを破壊する行為と近い。

 

 

 

 

 

すきになる相手が同性でも異性でも、生まれたときに示された性と違っていても、

その人が自分らしく生きることができればそれは大ごとじゃない、

 

そう思っていたって、自分の性について悩んだことがないわたしだって無意識に誰かを傷つけてきたかもしれません。

 

 

 

 

 

どうにしろ、

神さまに換気扇を回される前にちょっと変なところに自分で気づけるようになりたいな。