傘の日のピクニック
いつもいつもみんなが食卓にそろう必要はない。
父方の祖父が亡くなった。
母方の祖母が入院した。
わたしは、前の進み方が分からなくなった。
違う、どっちが前なのか分からなかったのかもしれない。
あんなに気が強くて怖いもの知らずだった祖母は、ちょっと祖父が病室を離れようとしただけで必死で引き止めた。
そろそろ帰るね、と母が言う。
「またひとりか」
祖母の声はぽつりと弱音を吐くようなトーンではなく、愚痴をこぼす時のような「いつもの」調子だった。
だけど、ここでずっと一日一日をやり過ごす姿を思い浮かべるとやっぱりしんどいだろうな、と思う。
後ろ髪を引かれながら後にした病室。
廊下に伸びるオレンジの光は、まるでふっと息を吹きかけたろうそくの灯火のように心もとない。
わたし、身近なひとのことを本当に大切にできてるんだろうか。
母も祖父も祖母ももうずっといることに慣れた家族だったのに、覚めない夢の中にいるような、ふわふわした感覚が抜けない。
*
祖父の訃報をきっかけに3年ぶりに対面した父。
メロンパンでコンゴを救います、なんて。
救われたいのは、いつだってわたしだった。
コンゴのことを知って救われたのも。
幼いころからいつも好かれることに必死だった。
父の頭の中は合理的な世界でできていて(と思っていた)、不正解のことを言ってしまったら怒られるんじゃないかと話しかけられないこともしばしば。
大きくなるにつれて苦手意識は薄れたものの、こないだ自分の話をするときも恐る恐る様子を見ながらだった。
そんな風に3年分の積もった出来事をぽろぽろとほどくように話す。
最後に放った、父の一言。
「おお、応援してるよ」。
不思議だった。あんなにたくさんたくさん、素敵な人からきらきらした言葉をかけてもらってきたのに。
今まで押し殺してきた感覚が風船の結び目を解いて抜ける空気のように、ふーっと自由になった。
もっと早く、会って話をすればよかったのかもしれない。
もっと早く、許すことができればよかったのかもしれない。
誕生日おめでとう、といろんな人に言われるたびに
ああ、でも父からその言葉を言われることはもう二度とないのだろうな、と思っていて。
そんなことをいちいち気にしている自分にいちばん驚いていて。
和解して初めて迎えた年の誕生日、の翌々日ごろ。
ポストに引っ掛かり宙ぶらりんになっていた細長い茶封筒。
封を切ると、便箋には特徴的なコロンとした父の字が並んでいた。
きっと、家族との問題にきちんと向き合って心の奥までわだかまりを溶け込ませていくにはまだ時間がかかる。
蕁麻疹が止まらなくなることも、
悪夢にうなされることも、
幼いころのトラウマが蘇ることも、ある。
だけど、4年ぶりの“おめでとう”は、やっぱり嬉しかった。
どんなことがあったって、家族は家族なんだと思う。