ルワンダとコンゴ帰国後。

 

Facebookでの渡航直後の感じたことをそのまま転載します。

 

 

改めて、昨晩無事ルワンダ・コンゴから帰国しました。
まだ気持ちの整理がきちんとできていないのでまとまりのない文章になりそうですが、忘れないうちに。

(これからの自分にとっての忘備録として書いたら3時間かかってしまったので、読んでくださる方はさらっと読み飛ばしてくださって結構です!!笑)

 

一週間のうち滞在していたのはほとんどルワンダでコンゴにいたのは数時間でしたが、入国できたことは本当に幸運でした。
しかし、行きの飛行機では乗れないんじゃないかというほど体調を崩してしまっていました。

 

 

念願のコンゴに行けるということが自分の中でもプレッシャーとなっていたこと。
さらに直前になってクラウドファンディングを達成されず終了させるという、応援してくださっている皆さんを裏切るような行為をしておきながらすぐに渡航してしまうこと。

 

初めて一人の海外でモロッコを旅した後に感じた、「“感じておしまい”なら、むしろ行かなかった方が良かったんじゃないか」という気持ち。

 

戻してしまった後はむしろすっきりして無事飛行機にも乗ることができました(が、一緒に行った皆さんには早速ご迷惑をおかけしてごめんなさい・・・!)。

 

拓殖大の教授である甲斐先生とジャーナリストの大津さんが引率してくださったので、ゼミ合宿のようでもあり、取材の同行をさせていただいているようでもあり、とても贅沢な経験ばかりでした。

30時間の移動を経て到着後すぐ向かったのが虐殺のあったタラマ教会。その後元コンゴ戦争兵士の社会復帰活動を行うムトボ除隊センター、ずっと訪問したくて連絡をとっていたコンゴのHEAL AFRICAの訪問、福島在住の元ルワンダ難民のマリルイズさん創設ウムチョ・ミザ・スクールの訪問とマリルイズさんとの面会、最終日のお昼には駐日大使のムリガンデさんと昼食など、毎日刺激が強すぎて10時間は寝ないと持たないほど。
他にも訪れたところ、経験したことがいっぱいあるのですがお会いした時ぜひお話させてください。

 

印象的だったこと。
一番衝撃を受けたのはきっと、ムトボ除隊センターでの元コンゴ戦争兵士の方のお話を聞いたとき。

 

コンゴのことを知るときに必ずと言っていいほど出てきたFDLR。ルワンダ解放民主軍のことで、1994年のルワンダ大虐殺に関わったルワンダフツ族です。
FDLRと聞いて、わたしは思わず背筋が凍りそうになりました。
でも、話をするその人はいたって普通のルワンダ人。決して何人もの人を殺してきたようには見えません。

参加者のひとりの男の子が質問をしました。

「初めて人を殺した時、どう感じましたか」

 

皆さん、答えは何だと思いますか。

 

何人もいる中で、ある元兵士の人が発した言葉を大津さんが訳してくれたのは意外な答えでした。

 

 

「彼は、質問の意味が分かっていない。人を殺すことが日常になっているから、特別なことではないんだろう」

 

そしてもうひとつ、別の参加者の女性が質問しました。

 

「あなたは何を守るために、戦ってきましたか」

 

 

「自分の国に帰りたかった。帰るために戦っていた」

 

自分の居場所を守るため、ということでしょうか。

 

 

FDLRは別名インテラハムウェ、“共に殺す者”。
『私は、走ろうと決めた。』でも何度も元FDLRの兵士が出てきます。
著者のコンゴから見たFDLRは本当に残虐で恐ろしい存在でしたが、出会ったその人は本当に普通でした。

 

戦争は良くない。人を殺すのは良くない。そんなの誰にでも分かる倫理観です。

だけど、もし自分の命を脅かす存在が常にいたとして、もし自分を殺そうとする人がいて、わたし自身も銃を持っていたら?

女性や子どもを襲ったりしなければ明日の自分の命も危うい状況にいたら?

 

急に居場所を失い、武器を持たされ、敵をなくせば故郷に戻れると知ったらきっと、自分だって人に銃を向けるだろう――。

 

一方、数日後コンゴで出会ったのはHEAL AFRICAの病院でケアされている子どもたちや女性でした。
ダンスを踊ったり遊具で遊ぶ子どもたちの様子は日本の幼稚園と何ら変わらない光景。
しかし、案内してくれた女性はこう言いました。

 

「この中にはレイプをされた子もいます」

ダンスを踊ったりしているのも、トラウマを克服する療法のひとつだと教えてもらうまで分からないほど。

両当事者を目の前にして、頭えが起きている間はひたすらぐるぐると考えました。

 

 

そして、そんなヘビーな話をうかがっても美味しい食事を目の前にするとホッとし、心が穏やかになったとき、分かったんです。
「ああ、やっぱりメロンパンだったら何とかできるかもしれない、」と。

 

メロンパンでコンゴを救うなんて言ってもずっと活動していることに自信が持てなくて、今年700人以上がフェスに来てくださったときは正直しまった、と思いました。

 

これだけの人を動かすことをしてしまったことに対し、もし間違ったことをしていたとしたらどうしようという不安です。

 

コンゴに行ったらどうなるんだろう。

 

初めてでした。

初めて、今の自分の活動を認めることができた瞬間でした。

 

 

ジャーナリストの大津さんはアフリカのことを世界の最前線だ、と表現します。
あんなにルワンダ市内は穏やかだったのにコンゴへの国境ではUNと大きく書かれた国連の車が何台も行き来し、MONUSCOと呼ばれる国連軍隊がざっと見ただけで100人以上整然と降りたつ姿は、まさに世界が注目する国際問題の最前線の地であることの表れでした。

 

もうひとつが、帰りの便での出来事。
カタール航空の機内トラブルで翌日の便まで足止めを食らい、ドーハで一泊することになったんです。

おかげで中東の地も味わうことができましたが、何の気なしにBCCにチャンネルを回してみると映し出されたのはあるアフリカの地域。

 

もしかして、と思い見続けていたらやはりコンゴでした。
マイマイという武装勢力にいた元兵士が、耳を塞ぎたくなるほど詳しくレイプをするときのことを説明する様子。

 

少しすると、今度はそういった兵士に襲われた女性がインタビューを受ける姿が映ります。

コンゴのニュースなんて日本では見たことがないし、「コンゴが、」と説明した時にこの現状を知っている人はほとんどいません。

 

だけど、本当は日本以外の国でトップニュースになるほどの問題であることをやっと実感することができました。

 

これからどうするか。
解決策はいくらでもあります。
まず国内で始まっていくチャリティメロンパンプロジェクト。

そして、これからメロンパンとコンゴとを繋いでいくこと。

まだはっきりとした道筋を描けていないけれど、わたしに残された時間もあまりないのでのんびりしすぎず、でも急ぎすぎず地に足をつけてしっかりと。

 

 

星の数ほど武装勢力がいるのなら、星の数ほどの希望で埋め尽くそう。

 

 

これが、コンゴへ行ったあとの、わたしの夢です。