星が降る国

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わたしは、アンパンマンが大好きだった。

 

お腹を空かしていれば、村の子どもたちでも時には敵となるバイキンマンにでも、

自分の顔を差し出す。

 

「罪を憎んで人を憎まず」ということわざの意味を理解できたのも、アンパンマンのおかげだったと思う。

 

小学校の卒業文集で、「強くて優しいアンパンマンのようになりたい」と書いたことを今でもはっきり覚えている。

 

 

わたしは、この夢を叶えられるだろうか。

 

 

 

これまで読んできた本も文献もNGOの報告レポートでも、

武装勢力は“悪”で、

暴力を受けた女性や子どもたちは“被害者”だった。

 

 

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 前回の記事にある訪れた場所のひとつ、ムトボ除隊センター。

hiramelonpan.hatenablog.com

 

 

FDLRだった元コンゴ兵士たち。

 

わたしがコンゴの問題をさらに詳しく知るきっかけとなったこの本にも、何度となくFDLR(インテラハムウェ)に襲われた女性の証言が出てきている。 

 

私は、走ろうと決めた。――「世界最悪の地」の女性たちとの挑戦

私は、走ろうと決めた。――「世界最悪の地」の女性たちとの挑戦

 

 

質問に答えるひとりの元兵士。 

わたしが彼の瞳から汲み取れたのは、人間の生々しい残虐さではなく 

どんな苦境であっても生きる希望を失うことができない、生きることに対する切実な思いだった。

 

 

上記の本の中で、著者が空港のターミナルの売店である雑誌の記事を見つけるシーンがある。

 

その記事のオンライン拡大版では、一人の女性が民兵に森の中へ引きずり込まれ、レイプされるか殺されるかしかけたときの経験を語っていた。

彼女が命乞いをすると、ひとりの民兵はこう答える。

 

「俺がおまえを殺したからって、どうだって言うんだ?おまえは人間じゃない。動物と同じだ。おまえを殺したって、誰も哀しんだりしない」

 

 

これを読んだ当時のわたしは、ここまで人は醜くもなれるのかとぞっとする思いだった。

 

 

でも、今はどうだろう。

 

なぜこんなことを言えるのか、やっと理解できた。

 

戦争は、他人の死に対する感覚を麻痺させる。

殺したことに罪悪感を持ってしまっていたら、そこで生き延びることはできない。

 

 

 

UNと書かれた国連の車や赤十字の車が行きかうコンゴの国境。

「人道産業」というものが成り立つほど、世界中からNGOや支援団体が駐在しているという。

 

それでもなお武装勢力が市民を襲い被害者がいなくならないのは、兵士たちの問題を解決する活動が圧倒的に少ないからかもしれない。

 

 

いかなる理由があっても人を殺してはいけない、ということを、

身の危険にさらされたことのないわたしが言える立場なんだろうか。 

 

 幼いころから生き延びるために入隊の選択肢しか持たずそのまま大人になった兵士を、日本で起こる無差別殺人の加害者と同じように責めることができるんだろうか。

 

 

トラウマを、トラウマだと思うことすら放棄せざるを得ない、麻痺した感覚の中でわずかに残された自分の尊厳を守る苦しみに、国際社会で手を差し伸べるひとはいるんだろうか。

 

 

こんな気持ちになるなんて、正直予想外だった。

 

傷ついた心を抱えながら生きる子どもたちの笑顔以上に一番胸を打たれて苦しい気持ちになったのは、元兵士の方が歌で迎え入れてくれたあの瞬間だったからだ。

 

 

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政府の上層部は、武装勢力を駒にして自国の資源を搾取し富を得ているかもしれない。

 

だけど、憎むべきは行為であって、兵士ひとりひとりではない。

 

 

 

 

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 コンゴにあるHeal Africaでは、未亡人の女性たちの社会復帰活動のプログラムを行っていた。

 

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 大胆な色遣いに独特な模様がコンゴらしい。

 

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 建物の窓からは、トラウマを克服する子どもたちのダンスや遊具で遊ぶ声が心地良く響き渡る。

 

 

「本当は女性の方が強い」なんて、と疑って聞き流していた言葉が、コンゴに来てようやく体感する。

 

そのことを兵士たちが知っているからこそ、女性が犠牲者になってしまうのだろう、とも。

 

 

 

どちらが悪いなんて、言えない。

 

だからもし、わたしが十分な食料を持っていたとき

目の前で飢えに苦しむのが子どもでも女性でも、たとえ兵士でも

相手を選ばず差し出せるようになろう。

 

 

美味しいものを食べるときは、みんな仲間だから。