塩からい夏、ほろ苦い秋
朝夕が涼しくなり、すっかり街中も秋色。
秋のはじまりの、少し残念なこと。
「健康で、よかったね」
棘のある言葉が脳裏によぎる。思わず唇を噛みしめた。
もうこの思考に入ったら止まらない。
わたしはいつでも思う。
苦しい経験はその人を豊かにするかもしれないけれど、だったら薄っぺらい人間だっていい。
綺麗事なんて聞きたくない。
しなくていいはずの苦しさの報いとして人の痛みが分かるようになったとしても、完璧に誰にでも寄り添えるようになるわけでもない。
一か月前から不調が続き、心配になって自分の病気を調べるようになってからさらに気持ちは落ち込んだ。
心臓の手術の歴史は意外にも浅く、最初に受けた人はやっと今50代。
根治術と言われていても成人後縫合したところが引きつって心不全や不整脈を引き起こすこともある、とか。
一生気にしなければいけないんだろう。
それどころか、やっぱり人生はそう長くないかもしれない。
不調と相まって、変わらず回る続ける世界との隔たりがどんどん広がっていく感覚に襲われる。
おんなじだ、と思うから苦しい。
大丈夫だ、と言い切れないから悲しい。
たぶん「病気じゃなかったら」のたられば論は、「時間がもっとあれば~できるのに」「お金がもっとあれば~できるのに」とおんなじだ。
病気じゃなくたって、わたしは生きることにふてくされてたかもしれないから。
いつか死ぬのは健康であっても一緒。
終わりが早くくるのなら、その分何倍速でもはやく駆け抜ければいい。
そうしたら、みんなに追いつけるかもしれない。
最後、あっという間の人生だったなんて言わせない。
ペースが速すぎて100年分走った気分だった、って言ってやろう。
その最後がまだしばらくは先のことを願って。