世界を掬うさじ加減
正しさにも賞味期限がある。
今は正しいことが、未来も正しいとは限らない。
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あけましておめでとうございます。
明けちゃった。ほぼ毎晩投稿ページ開いてるのに、書けないまま2か月近く経ってしまって反省。
去年はつまずくことが多くて、今年の後半は持病のせいか心臓の調子が異常に悪かったせいもあって鬱状態からなかなか抜け出せないようなしんどい一年でした。
先月は布団に入って電気を消した後、星野源さんの『夜』を聞きながらひとしきり泣いて寝るのが習慣化していて、毎日泣きながら寝るの繰り返し。
バイト以外で人と会うのが苦痛でした。
だれと会っても活動の進捗を報告。
些細な出来事とかくだらない話なんてできなくて、そういう隙間があったから今までパッとひらめいたり道筋が見えたりしていたのに、その状況が続くうちに息苦しくなっていて。
実は一週間前にある面談がきっかけで、メロンパンじゃないのかも、ってブログに下書きしてたんです。
聞かれて説得できないってことは、駄目なのかもしれないって。
さらに色んなアドバイスが頭上で交錯してふと気づいたんです。
わたしは誰のことを気にしてやっているんだろう、と。
Facebookもtwitterも、どこか知り合いの「みんな」という集合体にいい顔をしていなければいけないしんどさがあって、ひとりひとりは好きなはずなのに誰が大切な人だったかも分からなくなってしまいそうでした。
そうしてインスタグラムとブログ以外のSNSをやめたのですが、その直後タイミングよくある人が連絡をくれます。
「ひらめちゃんもこれから下積み時代やんなあ。アホなことしてるで」
テレビにもバンバン出て、本も出して、結果も出してる、あるNPOの男の子でした。
今でこそ有名になったものの、そうなるまでに2年はかかったと。
ほんまにアホやなあ、とけらけら笑いながら、「就活はしなかったんです」というわたしの言葉に「それ聞いただけで今日はぐっすりやわ」と嬉しそうに笑みをこぼしました。
新卒で入れるチャンスが今しかないという意味では、就活することが正しい選択だったかもしれない。
でも、未来にとっても正しいとは限らない。
いつか今の正しさも、受け入れられ方が変容していくから。
ちょっと話をしただけで、すっかり元気になることができました。
正しい時に正しい言葉をくれる、メンターのような男の子。
この人がいたから、わたしはこの活動を続ける勇気を持てたことを思い出しました。
すぐに本調子には戻れないかもしれないけど、今年はとってもいい一年になりそう。
心に一点の曇りもないスカッとした気分で迎えた今日の日を時々思い出して、たまに躓きながらもずんずん歩こうと思います。
皆さんにとってもパワフルで素敵な一年になりますように。