大事なことは小さなこえで
「 あのね、ずっと家の中にいたり、同じ場所にいるからって、
同じような生活をしていて、一見落ち着いて見えるからって、
心まで狭く閉じ込められていたり静かで単純だと思うのは、
すっごく貧しい考え方なんだよ。
でも、たいていそういうふうに考えるんだよ。
心の中は、どこまでも広がっていけるってことがあるのに。
人の心の中にどれだけの宝が眠っているか、
想像しようとすらしない人たちって、たくさんいるんだ」
『デッドエンドの思い出』よしもとばなな著
褒め言葉って、人づてで聞くほうが嬉しいって言うけど、ほんとうだ。
とってもうれしい。
もう2日くらい、にやにやしている。気づいたら口元が緩んでる。にへら。
まずい。分かってるけどにやける。
褒めるとか、人のことを覚えるとか、苦手だ。
苦手とか言うのはずるい。
友だちには人に興味ないだけでしょと言われる。おっしゃる通りです。
ちがう、たぶん頭に空白がないと呼吸ができないようになってるからだ。
頭があんまり良くないから、なんていうか怖い。
あとで引き出すかどうかわからない情報でいっぱいになるのがこわい。
でも、褒めるひと、素敵なんだよなあ。
わたしも明日は言おう、その時計いいね、とか、その帽子似合うねえ、とか。
気持ちを素直に言えるひともいい。
すごくすきだった、今でもだいすきなひとと、年明けフランス映画を観たりお酒を飲んだりしたあと、ぽろっと一言、「これまでの倍すきになった」とメッセージをもらった。
この「すき」は恋愛感情ではないんだけれど、むしろ、恋愛感情じゃない「すき」を伝えてもらえることがどれほど嬉しいことか。
しかも倍。誰かを倍すきになる場面なんてこれまであったっけ。ないな。
そして、そんな風に素直になることはどれほど難しいだろう。
家族に、友だちに、仲間に、何かしてもらったとか、義理も何もなく、ただ純粋にいっしょにいられて好き、という気持ちを表現したことがあまりにもない。なさすぎる。
コンビニで「レシートいらないです」が言えないのは、きっと初対面の人に向かって拒む行為をすることが嫌だからだ。
じゃあなんでその対にある、身近な人を受け入れる、「すき」が言えないのか。
ん?対だから?対偶?
わかんなくなってきた。
どうしてそんなに素直に「○○ちゃんだいすきー!」って言えちゃうんだ。
「わたしもすきだよーー」と返せても、絶対だいすきなんて言えない。
やー、でも羨ましい。
自分にないからいいな、と思うのかもしれない。
褒めるひと、素直に表現できるひと。
いいなあ。