約束の卒業

 

 

 

「ない、わたしの番号」

 

 

現役時受験で失敗。浪人するも自分の番号が見つかったときの喜びを噛みしめることがないまま、4年前の春、大学生になった。

 

センター利用で受験し受かってもいかないだろうと思っていた大学たちを見て、どこでも一緒だ、と投げやりな気分でパンフレットを見つめる。

 

 

受験の2年が無駄だったと、この2年は何だったんだろうと、ただ悲しかった。

 

 

母に鼓舞されて気持ちを取り戻したころには

つよく、きつく、ひとつのことを心に誓った。

 

受験に費やした過去の2年よりも、これからの4年間を無駄にしないようにしよう、と。

 

 

8年間の描いてきた夢が白紙に戻ったこと、やりたいことが見つかっても路頭に迷っていたこと、ときには学業を犠牲にしたこと。

 

 

何で大学に無理して通ってるんだろう、ともどかしくなる日々が続くときも、

やりたいことのすべてを両立させられる自信がなくなって言い訳しそうになったときも、

卒業できなければ全部が台無しになる、と自分を叱咤した。

 

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photo by gorotaku

 

 

 

検察官になると決めて法学部を目指してきた10年前の自分を納得させるのも、大学生という立場に甘んじてあれこれ享受してきたことも、卒業にかかっている。

 

 

母と約束をしていた。

 

 

「お願いだから、卒業だけはしてね」

 

 

なんと低い次元の約束だろうと傍からは笑われてしまいそうだけれども、一度思い立つと猛進して周りが見えなくなってしまうわたしをよく理解した母だからこそ、何度も何度もこの言葉を投げかけたんだろう。

 

 

 

休学しようか迷ったこともある。

ちょうど、ギャップイヤーや休学してインターンや学生起業するのが流行りだしたときだった。

休学費と月々の生活費を考えると、とてもじゃないけれど自分だけでは生活できない。

 

母に迷惑をかけるのはもう嫌だった。

 

 

それに休学しないとできないことなんて、たぶん大したことじゃない、と言い聞かせた。

あのときのわたしにとって大学生活を一休みするのは逃げだと思ったんだろう。

 

 

昨年末から2月にかけてがいちばんの山場で、休学できたらどれほど集中して活動に取り組めたんだろうと体をぼろぼろにしながら毎晩泣き崩れるときもあったし、節約のために炊飯器に残る白米の匂いを夜ごはんにした日もあった。

 

 

 

「・・・あれ?あるじゃん。番号、ある・・・」

 

 

見方を間違えて頭が一瞬真っ白になりながらも、何度も見返すとちゃんと卒業者の中に自分の学籍番号がちょこんと座っている。

 

 

受験では、何度も何度も自分の番号がない掲示板を見上げた。

 

大学4年生になってからは、合格も不合格も判定されない場所で、自分の立ち位置が分からないことに足がすくむ日々だった。

 

贅沢なことを言うな、と怒られてしまうかもしれない。

自分で選んだ道なのに、やっぱり怖かった。

 

 

卒業発表で学籍番号を見つけた瞬間、

すべてが報われた、とほっとした。

 

 

卒業は昔の自分の夢ときちんとお別れができるという意味でもあったし、

やりたいことを言い訳をしないで4年で卒業する、4年を無駄にしない、という入学前の誓いを果たすということでもあった。

 

 

10年前の自分には、同じ夢を描けなくなってごめん、と言うしかない。

 

だけど、もっと大きい夢ができたから、絶対今の方が楽しいから、

ついでに言うと、世の中にはメロンパンっていう美味しい食べ物があってね、

3年後くらいに食べると思うから楽しみにしてなね、と笑って付け加えるだろう。

 

 

 

1年生のころ、サークルのバーベキューに参加したとき、河原で4年生の先輩たちが言った言葉を今でもはっきりと覚えている。

 

「4年間なんて、あっという間だから」

 

振り返るたび思う、あっという間なんて生やさしいもんじゃなかった。

ちょっとの時間が惜しくて愛しくて、長い長い4年間だった。

 

4年間でできることはたくさんある。

これからの4年は、今よりもっとたくさんのことができるようになる。

 

 

あっけなく人生を消費したりしない。

 

わたしには、次の未来がはっきりと見えている。