感情の保存方法
感情には鮮度がある。
たまに過去のブログや日記を見返すと、自分で書いたのも思い出せないような表現をしていたりする。
自分に興味を持ってもらいたいからとか、「これを伝えたい!」と発信するためというほどの熱意もない。
過去の自分や誰かのブログを見て励まされたことが何度もあった。
生のままの感情を書き残すことで、たったひとりであっても役に立つかもしれない。
だから、「今」を言葉にしたいんだろうな、と思う。
*
顔や体のあちこちに蕁麻疹が歩き回る。
もう大丈夫と言い聞かせ、夕食をゆっくりと済ませた後だった。
わたしは自分の、悲しいとか辛いと感じた時に出る顕著な体のサインが本当に嫌いだ。
何で周りのひとはもっと我慢して生きているのに、これくらいのことですぐダメになってしまうんだろう、と。
他人と比べても仕方がないことだとしても、あまりにも体調に出すぎる。
先日の不調が回復したばかりだったから、余計に腹立たしい。
すきな道を、自分で選んだ道を歩いているのに。
なんて甘いんだろう。
訪れたときには遠いようで近いと感じたコンゴも、実際にはまだまだ距離がある。
打開策を見つけられなかったら、このまま永遠に毎日お弁当を温め続けるんだろうか。
それとももう見切りをつけてしまうんだろうか。
「昔はあんなことやってたなあ」と思い返すことすらなくなってしまうくらい、今が過去の出来事になってしまうんだろうか。
もしも“やりたいこと”だったら、飽きっぽい自分はポイと頭の片隅に転がしていっただろう。
“やらずにはいられないこと”だった。
観念しよう。
どうしたって、きっと一生逃れられない。
近道や裏ルートがなくても、暗くてどの辺りまできたか分からなくても、
これがわたしの目的地まで辿り着くための道なんだ、と。