“かんなん多けれども 後かならずよかるべし”
パソコンのマウスキーが不調なので、マウスを買いに外へ出たら外がまだ明るくてびっくりした。
中学生のころ英国でホームステイした時のなかなか暗くならない空を思い出して、ふとどこかの家から香る入浴剤の匂いに哀愁を感じて、きゅんとする。
隣の芝生は青く見えるっていうけど、何でこうほかの家のごはんとかお風呂の匂いってこうぐっときてしまうんだろう。不思議。
あと、誰かがつくってくれたごはんも、とてもすき。
友だちが就活中うちへ泊まりにきてくれたとき、つくってくれたごはん、一緒に食べたから余計に美味しかったな。
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10日前、24回目の誕生日。
メンバーの子から人生で初めてサプライズムービーをもらって、泣き腫らしながら迎えた朝。
ちょっとのことで体調を崩してしまうのが悔しくて、なかなか思い通りに良くならない苛立ちを隠せずにいた日々の中、大切なひとからの温かいメッセージには救われた。
働きもせず寝て過ごすわたしを母も弟も決して咎めることなく、毎晩他愛ない話をする。
地元を出てから初めて5日間も実家にいたけれど、ああ、そういえば家ってこんな感じだったなあと4年ぶりの感覚を思い出した。
思春期は不機嫌なことも多かったけれど、基本的ににこにこしてたっけ。
実家に来て3日目、スマホを落として画面をバリバリにした日の夜。晩ごはんをパクパク食べていたら「スマホがバリバリになっても、にこにこごはん食べててえらいねえ」と母にコメントされた。
慰めてくれただけなんだけど、全然えらくもないのに褒められちゃったものだから余計にかっとしてしまう。
そうだ、わたし家がだいすきだったんだった。
東京の暮らしも気に入っている。
だけど、ここにずっといたら戻れなくなる。
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がらんどうの駅のホームから、油絵のような空を仰ぐ。
高木正勝さんの、おおかみこどものサウンドトラックが耳元を流れた。
もう東京には戻れないかもしれないと、あれほど本当に強く思ったのに。
実家を出て日が経っていくと、また何もなかったかのように前の暮らしに戻っていた。
イベントは分かりやすい終わりと結果があって、これから取りかかろうとしていることは最低5年くらいかかってしまう。
それでも、コンゴへ訪れた後に決意した気持ちは変わらない。
星の数ほど武装勢力がいるのなら、星の数ほどの希望で埋め尽くそう。
これが、コンゴへ行ったあとの、わたしの夢です。
今日また、嬉しいことがあった。
夢にまで見なかった出来事があり、それはやっぱり夢じゃなかった。
“現実が理想を超える”ことは、ほんとうにある。
毎日お弁当を温める日々も、無意味じゃない。
いまを振り返るときのわたしは、きっとにこにこしながら話している。
今年のおみくじ、
“かんなん多けれども 後かならずよかるべし” にふさわしい一年にしちゃお。