20160808_33°C

Apples


以前知り合いの人に「一番好きな作家さんは誰ですか?」と聞いたら松浦弥太郎さんって知ってる?と返ってきた。

 

それから松浦弥太郎さんの本をいくつか手にして、糸井さんとも違う、ちゃんと「ああ、これは松浦さんが書いている文章だ」と分かる文体である種のショックを受けた。

 

平易なのに個性が滲み出ているのはどうしてだろう。

 

ほぼ日塾というのに参加した時も、揃いもそろって参加者含め皆ほぼ日調の文体になっていて、ちょっと怖かったのが忘れられない。

 

シンプルであればあるほど「らしさ」を出すのは難しいはずなのに、きっとクレジット表記がなくても松浦さんや糸井さんの書いたものは本人の文章だと分かるはずだ。

 

じょうずにものを書けるようになるにはたくさん本を読むこととはよく言われるけれど、すきな物書きの人の書き癖に引っ張られることなく自分の言葉を編むのはすごく難しいと思う。

 

必要最低限の語彙はおとなになるまでに身につけているつもりでも、表現の広がりがこんなにも人と人との間にたくさんあるのだから、泳いでも泳いでも海みたいな感じなのかもしれない。