僕らのごはんは明日で待ってる-20161205_18°C
「私、万引きもずる休みもしたことないし、人の靴に押しピン入れたこともないのに、どうしてこんなことになるのかな」
「悪いことをしたから病気になるわけじゃない。そんなの病気の人に悪い」
「わかってるけど、どうしてだろうって思ってしまう。どこの何を間違えたんだろうって。どうやったらこんな目に遭わなかったのかな」
ドラマチックな展開も、運命的な出会いもない。
その代わり、日常を生きる中でそれぞれが抱える心の濁った部分をありありと描写している。
瀬尾さんは読み手の心の揺れと振動し合うことをイメージながら書いているのかな、なんて思うくらい、主人公の感情表現が等身大で実直だなあと思う。
治ったと思ったらまた別の症状で体調を崩して仕事を早退。
生きるだけでこんなに迷惑かけてばかりで、自分にうんざりして塞ぎこんでしまいそうなタイミングで母から連絡がくる。
こんなことがあってね、といつものように近況報告をしたり悩みを打ち明けた。
話しているうちに、『僕らのごはんは明日で待ってる』のいくつかのシーンを思い出す。
傷ついたと思うようなことがあった時は、どうしても自分にだけ矢印が向いてしまう。
でも本当は、相手の方がよっぽど苦しくて傷ついているのかもしれない。
ああ、優しくなるって難しいな。
身体も痛いし心も窮屈だったのに、長電話を終えた後は少し肩の荷が軽くなった気がした。
コンゴのNGOとのメールのやり取りで困ったときは添削や返信の翻訳を父にしてもらい、悩みを抱えきれなくなったときは母に相談して、HPの運営で分からないことがあれば兄に泣きついて。
離れてからの方が家族の大切さって分かるなあ、とも思った。
文が散らかってるけど今日はおしまい。
明日はもっと元気になれますように。