20171223_12°C
生活を営むということを、言葉を紡ぐたのしさを、もう何ヶ月も味わっていない。
それが、仕事によるものなのか、わたし自身が変わってしまったからなのか分からない。
ぶつかる肩。踏まれる爪先。絡まる溜め息。
終わらない今日。駆け上がる途中で流れが止まるエスカレーター。
座れない満員電車。
こんなに些細なことが許せなかったっけ、と思わず思考が止まってしまうくらい日常の中で穏やかな気持ちでいられることがほとんどなくなった。
知らない言葉、使いたくない言葉が空気の中に溶け込む環境ではただ呼吸をするだけでも肺の中にまで取り込まれてしまう。
知ったことになる、使える言葉になる。
もう二度と自分の身体を痛めつけないようにと選んだ道も、結局は同じだった。
それどころか、心まで擦り減り、自分がどんどん嫌いになった。
温かい場所を、今まで自分がつくってきた場所をもう一度確かめて、ただそれだけが救いだと思った。
切った玉ねぎみたいな月を見ても、横を歩く夫婦の日常の会話を耳にしても、
見たことのない正方形のブロック一つ一つを足でなぞってみても、
眩しい明かりの中でボールに夢中になる子どもたちを見ても、何も感じない。
もう、今の自分には生きてること全てに何の光も色も温度も感じない。
目に映る光景に触れたら弾けてひかる、日常の隅々に張り巡らされている線が
まるで目の前を塞ぐ蜘蛛の巣のようにしか見えない。
世界がこんな風に見え続けてしまったらどうしよう。
見え続けることに耐えられなくなったら、どうしたらいいんだろう。