薫る、止める

 

The past can hurt. But the way I see it, you can either run from it, or learn from it.

 

過去の出来事に傷つけられることもあるだろう。でも私が思うに、そこから逃げ出すことも出来るが、そこから学ぶことも出来る。

ウォルト・ディズニー

 

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頭の中の比重がメロンパンで傾くほど心の中の占める割合も増えていって、

いつしか本当に伝えたかったコンゴのことを考えるスペースがなくなっていて

苦しまずに伝えられるかもなんて甘かったな、と常時ヒリヒリした痛みが胸を刺しました。

 

 

なんか違うなってどこかで感じていた、その心の声から耳をふさいでいたんです。

だって、きっとずるいから。

今の選択から逃げて就活してしまうのも、専門店ではないやり方をとるのも。

 

 

応援するよ、と言ってくれた人にどんな顔をすればいいんだろうって。

これから宣言するすべてが「また嘘だろう、やらないだろう」とオオカミ少年だと思われてしまったらどうしようって。

 

 

いつかやろう、のいつかなんて絶対やってこない。

そんなの、分かってるのに。

 

つまるところ、

あれだけ就活をしないと大々的に宣言しておいて、いまさら迷ってるんです。

 

 

幼いころから仕事に打ち込むキャリアウーマンに憧れていたし、法曹の道を選ぶようになった中学以降でも起業や独立することはまず選択にありませんでした。

 

 

*

 

 

会社で働くことを選ぶのならば、やってみたいことはたくさんある。

コンゴのことを何も知らなかった自分に戻ってしまうのは容易い。

 

 

今まで断ってきた誘いもこれから積極的に乗って、行けなかった絵画教室も通ってみたりして、友だちともたくさんごはん食べて話をして、与えてもらった仕事に全力を注いで、たまに死にたくなってもやっぱり朝がきたら頑張ろうって。

そこには不安定な気持ちに人生ごと左右される出来事はやってこないだろう。

血まみれに見えたスマートフォンも、浄化されたミネラルウォーターで綺麗に拭いてしまえばいい。

 

 

だけど

そんな毎日はあまりにも魅力的で、きっともう今には戻れない。

 

 

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コンゴに目を向けながら、幾度となくよぎる「もっとすごい誰かが変えてくれるかもしれない」という気持ち。

 

遊びたい、全部知らなかったことにしたい、という迷い。

 

2年半の間、一日たりともコンゴのことを考えない日はなかった。

もう嫌だと忘れようとしても、逃げられなかった。

 

逃げる方が苦しくて、忘れる方がもどかしくて、

だからあの日宣言したんだったっけ。

 

 

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 もう一回、考え直そうと思います。

 

今のわたしに何ができるか、どうメロンパンとコンゴを繋いだらいいのか。

 

 妥協でなんか選ばない。

できるかどうかで決めつけない。

 

ちゃんと、自分が自分で良かったと思って生きたい。