虹関数
今日はちょっと久しぶりに、高校時代の旧友と再会。
最後に会ったのは一年前で、ちょうど教員試験の結果が来週出るくらいの時期だった。
お互いに来年の今がはっきりと見えていたわけではなかったけれど、会ってみると、やっぱり去年イメージしていた通りの道にそれぞれ進んでいる。
小学校低学年のクラスを受け持ち、賑やかで刺激的な毎日を送っているようだった。
今では住む地域も仕事も何もかも共通するところがないのに、たった数年同じ向きに机を並べて座っていただけでその後も変わらず気の置けない仲でいられるのは不思議だなと思う。
容赦なく子どもたちを叱るときの話もその時のその子がイメージできて面白かったし、一方で「これからコンゴでバニラビーンズをやるんだー」という現フリーターの空言のような話に見下すそぶりもなく純粋に驚いたり励ましたりしてくれる様子が前とおんなじで、もっとすきになった。
立場や環境が変わっても、変わらないこともあるから、変わらないところで一緒にいられるんだろう。
*
「どうしよう、こっちまで緊張するね」
同じく一年のころクラスメイトだった男の子と、吉本に入ったという同級生の公演が始まるのを待つ。
高校時代の同級生と会うと、まさかお笑い芸人になるとは思わなかったね、となってもどこか違う世界の話のように話題がするんと流れていってしまう。
関心がないというよりも、きっと理解できないからなんだと思う。
教室の黒板にはいつも、これからの安定した未来を実現するための解が余すことなくぎっしりと書かれていた。
いい大学に入ってしっかり勉強したら省庁や優良企業に入って安定した生活が送れるよ、と。
それを疑うことをする生徒はあまりいなかったし(途中で退学して米国の学校に行ったクラスメイトもいたが例外だった)、浪人組も文系は大体が卒業している今、流れてくる情報は○○が××省らしい、とか△△くんは弁護士になったらしい、とかそんな話題ばかりだった。
でも求めていたのは安定した将来を導くための解ばかりではなかったのかもしれない。
ほんとうは、いろんな方法でだって答えを見つけられるということも一緒に知ったのかもしれない。
* *
暗幕が閉まり、小さい映画館のような劇場のシートから立ち上がる。
「すごかったね、面白かったね」
当然だけど本人と直接話すタイミングはなく、興奮した気持ちを持て余したままわたしたちは建物の周りを意味もなくうろうろした。
フリーターになったわたしと、大学院に通うその子、芸人になった同級生。
まさか1年のあの教室にいるときは、東京で同級生の公演を観に行くなんて思いもしなかった。
コンビニに立ち寄ってペットボトルのお茶を買う。
歩きながらキャップをひねると、過去が一緒にぐにゃんと曲がった音がした。
* * *
高校時代は二次関数の異なる2つの点で交わる解を探していたけれど、わたしたちが同じところで交わるとは限らない。
大体が同じような道に進んで、「あ、また会ったね!」と放物線とX軸が交わるように再会するものだと思っていたけれど、蓋を開いてみると全然違っていた。
今の自分にとってはその事実は前向きに捉えられるのだけど、もし高校1年生の時にこのことを知っていたらちょっと切なくなるだろう。
とはいうものの、先が全く違う道だとしても、全員がひとつの空間にいるという不自由な自由さをもった高校時代は特別で最高だったと思う。
そうやって振り返ると、たぶん今のこの宙ぶらりんだけど新しいことを始めるときのわくわく感も愛おしくなる。
来年はどんな風に会えるかな。